27年振りの京都探訪とヴァシュティ・バニヤンのライヴ
27年振りの京都探訪とヴァシュティ・バニヤンのライヴ

9月22日に京都教育文化センターでヴァシュティ・バニヤンのライブが行われる、
という事で実に27年振りに京都まで赴いた。
京都に訪れるのは、1988年夏にマーブル・シープのローディーで来たとき以来。
前日の夜行バスで22日早朝に京都到着。朝食は知人から教えていただいた
著名なラーメン店で取る。しかし朝5時から開店してるラーメン店って。
しかもこんな早朝に30人ほど行列が出来てたし(苦笑)。

空腹を満たしたあと、駅前のネットカフェで仮眠を取り体調を整え、
夕方の公演までは事前にチェックした京都市内のしたレコード店廻りを敢行。
meditations、パララックス、タワー・レコード、ジェット・セット、100000tアローントコ、
happy jack、ポコ・ア・ポコなどに立ち寄る。
途中、昼食はMr薀蓄氏から紹介してもらった京極の鰻屋「かねよ」でうな丼。

しかし、今回レコード店を廻るも、購入は1枚も無し。
あくまで個人的な思いなのだが、どのお店もジャンルが多すぎて(あくまで個人の感想です
)焦点がボケて見えてしまって、なんかこう「ガーッ」とエサ箱に向かう気合が乗らなかったというか、
もっと特化先鋭された品揃えの店しかもう反応できなのかも、俺、とか思ってしまった。
そして購買意欲も明らかに低下している気もする。
ただ、あくまで自分自身の気持ちの問題なのでお店側には何ら問題も無いので、一応念の為。
以前に京都に来た時は、マーブル・シープに付き添って京都CGCBでのライブと
河原町河川敷でのストリートライブ。
宿はレニングラード・ブルース・マシーンの田畑氏の自宅だったりしたので、
今回のように京都の街中を探索するという事はのは、たぶん高校の修学旅行以降無かったかも。
おまけに京都の交通事情に慣れていないため、バスや地下鉄や電車などの利用方法が把握出来ず、
またレコ屋の位置確認も不慣れなため、結構な距離を徒歩で移動してしまい、
帰宅後は足の筋肉痛に悩まされた。
あと、長年に渡り自分の脳内でイメージされていた京都駅の風景が、
実は駅前の京都タワーとすり替えられてた事が今回判明。ずーと京都タワーの
ぼんやりと記憶された概観を京都駅と勘違いしていた。
人の記憶ってやっぱり曖昧なんだなーと実感。

この京都駅を

これだと思っていた(苦笑)。
さて、今回の京都訪問の本来の理由。
ヴァシュティ・バニヤン公演。
説明は不要だとは思うが、彼女は英国フォーク界の伝説の歌姫。
1970年にリリースされた1stアルバム以降音楽シーンから遠ざかっていたが、
2005年にアルバム「ルックアフタリング」で復帰。
その変わらぬ歌声はフォーク・ファンは元より、
サイケ・ファン、プログレ・ファンからも歓迎された。(多分)
来日は2度目になるのだが、前回は公演が平日と言う事もあって
見に行く事ができず涙を飲んだのだが、今回の公演のうち京都がシルバー・ウィークの中日。
これを見逃すときっと死ぬまで後悔すると思いチケットを購入すると、自分の思いが伝わったのか、
まさかの最前列やや左寄り(と言うかステージ並びでいうとヴァシュティ寄り)を入手。
もうそれからずっとバシュティに思いを馳せていた訳だが。
少し道に迷ったあと会場に付き、座席に着こうとしたらトラブル発生。
自分の席に誰かの私物が置かれていた。
隣の席の人が「ちょっと」置いた様な状態では無いのは明らかだった。
まさか席の2重発行?とスタッフの人に確認を取ってもらう。開演10分前になってようやく、
私物を置いてた外国人が席を間違えてたことがわかる。
しかし、その間違えてた席ってのがずーっと後ろの席。
どうしたら最前列と間違うのか?という、とんでもないレベルの勘違いにしばし唖然。
そしてまもなく演奏が始まったのだが、ステージ上は非常にささやかな照明と簡易なセット。
セピア色の電球型の照明がステージ上で仄かに点滅する。
サポート・メンバーは、「Heartleap」にも参加しているギャレス・ディクソン。
共にアコースティック・ギターを演奏し、よくありがちの「ストローク」演奏はほぼ無し。
2人が爪弾くアルペジオや単音のギター響きとヴァシュティのあの消え入りそうな、
それでいて優しく穏やかで存在感のある、1970年の昔と2015年の今と
殆ど変わる事のないヴァシュティの歌声。
セピアの照明とそんな音に浸っていられるだけで幸せに思えてくる。
ほぼ一曲ごとに次やる曲のエピソードを交える。
「これは当時のボーイフレンドとのトラブルを歌った曲」とのコメントで会場から笑いが起こる。
今でも充分若い世代をも魅了してるであろう彼女の歌声は、
最初からその古びない普遍性を持っていたのだと思う。
その声質とメロディは、やはり自分を魅了して止まないと再認識
約1時間強の、やや短めのライブだったが2回目のアンコールを終えてお辞儀をする
彼女の笑顔のその素敵な事といったらなかった。
終演後はこのCDにサインと握手をさせてもらった。

強行軍での旅になったが、やはり無理してでも見にいけてよかった。
ただ、新潟帰ったあと、案の定体調を崩した。寄る年波も再確認。

9月22日に京都教育文化センターでヴァシュティ・バニヤンのライブが行われる、
という事で実に27年振りに京都まで赴いた。
京都に訪れるのは、1988年夏にマーブル・シープのローディーで来たとき以来。
前日の夜行バスで22日早朝に京都到着。朝食は知人から教えていただいた
著名なラーメン店で取る。しかし朝5時から開店してるラーメン店って。
しかもこんな早朝に30人ほど行列が出来てたし(苦笑)。

空腹を満たしたあと、駅前のネットカフェで仮眠を取り体調を整え、
夕方の公演までは事前にチェックした京都市内のしたレコード店廻りを敢行。
meditations、パララックス、タワー・レコード、ジェット・セット、100000tアローントコ、
happy jack、ポコ・ア・ポコなどに立ち寄る。
途中、昼食はMr薀蓄氏から紹介してもらった京極の鰻屋「かねよ」でうな丼。

しかし、今回レコード店を廻るも、購入は1枚も無し。
あくまで個人的な思いなのだが、どのお店もジャンルが多すぎて(あくまで個人の感想です
)焦点がボケて見えてしまって、なんかこう「ガーッ」とエサ箱に向かう気合が乗らなかったというか、
もっと特化先鋭された品揃えの店しかもう反応できなのかも、俺、とか思ってしまった。
そして購買意欲も明らかに低下している気もする。
ただ、あくまで自分自身の気持ちの問題なのでお店側には何ら問題も無いので、一応念の為。
以前に京都に来た時は、マーブル・シープに付き添って京都CGCBでのライブと
河原町河川敷でのストリートライブ。
宿はレニングラード・ブルース・マシーンの田畑氏の自宅だったりしたので、
今回のように京都の街中を探索するという事はのは、たぶん高校の修学旅行以降無かったかも。
おまけに京都の交通事情に慣れていないため、バスや地下鉄や電車などの利用方法が把握出来ず、
またレコ屋の位置確認も不慣れなため、結構な距離を徒歩で移動してしまい、
帰宅後は足の筋肉痛に悩まされた。
あと、長年に渡り自分の脳内でイメージされていた京都駅の風景が、
実は駅前の京都タワーとすり替えられてた事が今回判明。ずーと京都タワーの
ぼんやりと記憶された概観を京都駅と勘違いしていた。
人の記憶ってやっぱり曖昧なんだなーと実感。

この京都駅を

これだと思っていた(苦笑)。
さて、今回の京都訪問の本来の理由。
ヴァシュティ・バニヤン公演。
説明は不要だとは思うが、彼女は英国フォーク界の伝説の歌姫。
1970年にリリースされた1stアルバム以降音楽シーンから遠ざかっていたが、
2005年にアルバム「ルックアフタリング」で復帰。
その変わらぬ歌声はフォーク・ファンは元より、
サイケ・ファン、プログレ・ファンからも歓迎された。(多分)
来日は2度目になるのだが、前回は公演が平日と言う事もあって
見に行く事ができず涙を飲んだのだが、今回の公演のうち京都がシルバー・ウィークの中日。
これを見逃すときっと死ぬまで後悔すると思いチケットを購入すると、自分の思いが伝わったのか、
まさかの最前列やや左寄り(と言うかステージ並びでいうとヴァシュティ寄り)を入手。
もうそれからずっとバシュティに思いを馳せていた訳だが。
少し道に迷ったあと会場に付き、座席に着こうとしたらトラブル発生。
自分の席に誰かの私物が置かれていた。
隣の席の人が「ちょっと」置いた様な状態では無いのは明らかだった。
まさか席の2重発行?とスタッフの人に確認を取ってもらう。開演10分前になってようやく、
私物を置いてた外国人が席を間違えてたことがわかる。
しかし、その間違えてた席ってのがずーっと後ろの席。
どうしたら最前列と間違うのか?という、とんでもないレベルの勘違いにしばし唖然。
そしてまもなく演奏が始まったのだが、ステージ上は非常にささやかな照明と簡易なセット。
セピア色の電球型の照明がステージ上で仄かに点滅する。
サポート・メンバーは、「Heartleap」にも参加しているギャレス・ディクソン。
共にアコースティック・ギターを演奏し、よくありがちの「ストローク」演奏はほぼ無し。
2人が爪弾くアルペジオや単音のギター響きとヴァシュティのあの消え入りそうな、
それでいて優しく穏やかで存在感のある、1970年の昔と2015年の今と
殆ど変わる事のないヴァシュティの歌声。
セピアの照明とそんな音に浸っていられるだけで幸せに思えてくる。
ほぼ一曲ごとに次やる曲のエピソードを交える。
「これは当時のボーイフレンドとのトラブルを歌った曲」とのコメントで会場から笑いが起こる。
今でも充分若い世代をも魅了してるであろう彼女の歌声は、
最初からその古びない普遍性を持っていたのだと思う。
その声質とメロディは、やはり自分を魅了して止まないと再認識
約1時間強の、やや短めのライブだったが2回目のアンコールを終えてお辞儀をする
彼女の笑顔のその素敵な事といったらなかった。
終演後はこのCDにサインと握手をさせてもらった。

強行軍での旅になったが、やはり無理してでも見にいけてよかった。
ただ、新潟帰ったあと、案の定体調を崩した。寄る年波も再確認。
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