林直人さんとハードスタッフと私
今日7月25日は、私事ながら自分の誕生日で、Facebook上で多くの方からお祝いのコメントを頂いた。
中には若い時から自分の中では憧れだったミュジシャンからもコメントを頂いてこちらは恐縮するばかり。
ただ、今日が重要なのはもちろんそんな事じゃない。
2003年の今日7月25日は、関西ロックシーンの重鎮でロック・バンドアウシュヴィッツのリーダーだった、
林直人さんが亡くなられた日。
自分の誕生日と同じ日なので殊更忘れる事ができない。
今日は難波ベアーズで林さんの13回忌記念ライブが行われてるので、自分も新潟からせめて思いを馳せてみる。
この雑誌「ハードスタッフ 第12号」は、徳島の小西昌幸さんが2008年に発行された「先端的硬派雑誌」。
この号は林直人さんの特集号になっている。実は自分もこの号に関わっていて名前を載せていただいている。

林さんが亡くなられた事が、日本のロック界に於いてどれだけ大きな損失だったかは
この本を読むことで判ってもらえるだろうと思う。
もう今では林さんの音楽は、残された編集版CD位でしか聞くことは出来ないのだが、
自分にとってはアルケミーからリリースされた12'「RULE OF SPIRIT」を聞いて感銘を受けた時よりも、
その後挑んだアウシュヴィッツのライブで林さんの「体」から発せられる声と、
絶望すら大きく優しく包み込む様なその歌に生で触れた筆舌に尽くしがたい体験の方が忘れられない。
もう28年前の事だけど今でもハッキリと覚えている。
「ハードスタッフ」についての裏話をひとつ。
協力依頼は当初はキャプテントリップの松谷さんにあったのだが、結局はこちらに振られた形になった。
「林直人 年譜」に関する部分なのだが、特に東京でのライブ・データなど、
そりゃ松谷さんを知る人達からすれば、彼がそんな資料を保存している訳無いじゃないですか(笑)。
だって松谷さん自身のマーブル・シープの音源や資料だって、現に俺が(笑 以下略)。
アウシュヴィッツのベスト盤
中には若い時から自分の中では憧れだったミュジシャンからもコメントを頂いてこちらは恐縮するばかり。
ただ、今日が重要なのはもちろんそんな事じゃない。
2003年の今日7月25日は、関西ロックシーンの重鎮でロック・バンドアウシュヴィッツのリーダーだった、
林直人さんが亡くなられた日。
自分の誕生日と同じ日なので殊更忘れる事ができない。
今日は難波ベアーズで林さんの13回忌記念ライブが行われてるので、自分も新潟からせめて思いを馳せてみる。
この雑誌「ハードスタッフ 第12号」は、徳島の小西昌幸さんが2008年に発行された「先端的硬派雑誌」。
この号は林直人さんの特集号になっている。実は自分もこの号に関わっていて名前を載せていただいている。

林さんが亡くなられた事が、日本のロック界に於いてどれだけ大きな損失だったかは
この本を読むことで判ってもらえるだろうと思う。
もう今では林さんの音楽は、残された編集版CD位でしか聞くことは出来ないのだが、
自分にとってはアルケミーからリリースされた12'「RULE OF SPIRIT」を聞いて感銘を受けた時よりも、
その後挑んだアウシュヴィッツのライブで林さんの「体」から発せられる声と、
絶望すら大きく優しく包み込む様なその歌に生で触れた筆舌に尽くしがたい体験の方が忘れられない。
もう28年前の事だけど今でもハッキリと覚えている。
「ハードスタッフ」についての裏話をひとつ。
協力依頼は当初はキャプテントリップの松谷さんにあったのだが、結局はこちらに振られた形になった。
「林直人 年譜」に関する部分なのだが、特に東京でのライブ・データなど、
そりゃ松谷さんを知る人達からすれば、彼がそんな資料を保存している訳無いじゃないですか(笑)。
だって松谷さん自身のマーブル・シープの音源や資料だって、現に俺が(笑 以下略)。
アウシュヴィッツのベスト盤
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林のCD
シルエレで立った今、訃報を聞きました。「最初で最後の林名義のCDを作ろう」でなり、いろいろ苦労したのはあのCDです。でも「なに、君がやったの? おおきにな。」そんな
お礼はもう聞けません。
お礼はもう聞けません。
Re: 林のCD
「林直人/FLAME」のCDは自分も関わっているので、
一層思うところは強いです。
一層思うところは強いです。