モダーン・ミュージック
京王線明大前駅を降りて徒歩一分のところにあるレコード店、
モダーンミュージックがこの3月で実店舗営業を終了する事になった。
このお店で教わった様々な事は計りしれなく大きい。
それだけに寂しさも特別に深い。
サイケやジャーマン、NYパンク、日本のアンダーグラウンドなど。
レコードだけに限らず、多くの人との出会いや関わりなど、無形のモノを頂戴した。
モダーンに通う切っ掛けはハッキリと覚えている。
「ハイライズ/サイケデリック・スピード・フリーク」。
そうPSFレコードの1番。

確か、雑誌DOLLで紹介されていた、このLPが無性に聴きたくなった。
1980年代初頭、自分は故郷の新潟を離れ東京で暮らしていた。
新潟にいた頃は殆ど音楽には興味無かったのだが、
東京でパンク、ニューウェイブ、ハードコアの洗礼を受けその魅力に取り憑かれ、
その更に先の音楽やそのルーツの音楽にハマリ始めた。
今思うと異様なほど、自分にとっての未知な音楽に心奪われて時。
ともかくDOLLやミュージックマガジンなどの広告に載ってたレコ屋に
片っ端から電話をしまくった。
「売り切れ」ならまだマシで、「無い」「判りません」「知りません」な返事が殆どで、
無い無い言われて諦めかけてたそんな状況の中、かけた電話の1本がモダーン。
で、そこではアッサリと「有りますよー」。
「これから買いに行きます。取って置いて下さい」とオレ。
有って当然。レーベル元なんだから。
でも当時はそれすら知らなかった...ど素人のオレ orz...。
京王線明大前駅を降り、お店に向かう。
美容店のパーマ液臭い階段を上るビルの二階にモダーン・ミュージックは有った。
ハイライズもさることながら、その店内に有ったレコードの数々に心奪われた。
その頃、「九州のPIL」と称された「グーンジーズ」ってバンドが居て気になっていたのだが、
どこにもそのレコードが置いて無かったのだが、ここに当然の様に置かれていた事に更に驚愕。
↓

休みの国&岡林信康のURCカップリングLP、
リチャード・ヘルのORKシングルなども棚に当然の様にある。
足繁く通う様になるには、もうこれ以上理由は要らない。
当時、店員だった松谷健さん、石原洋さん、平野剛さん。
彼らからサイケやジャーマンなど多くのものを教えて貰った。
ハイライズ、アウシュヴィッツが出るライブに行ったら、
対バンのマーブル・シープに魅了された。
そのリーダーが松谷さんで、モダーンの店員だってことはその時に知った。
店で会ってたはずなのに認識してなかった事を恥ずる。
更に遡れば、御茶ノ水にあったエジソンでも知らない内に松谷さんに会っていたのだ。
当時彼はそこの店員で、俺はそこにTGのシングルを買いに行ってた。
それを仕入れてたのは松谷さんだったらしい。
マーブル・シープにはその後深く関わる事になるのだが、それは後日詳しく。
モダーンで一番鮮烈な記憶は2つある。
ひとつは、CD納品で店に来ていた灰野敬二さんにサインを貰った事。
そしてもうひとつは、当時店員のN氏の解雇現場に居合わせた事。
BGMも流れない店内で凍りつき固まる空間。
あの冷や汗しか流れない、居た堪れない時間は他に体験ない(苦笑)
実は、生悦住さんと親しく話しをさせて貰う様になったのは結構遅い。
やっぱり、当時は何か怖かったもんなー(笑)。
切っ掛けは、店内のTVに映ってたプロ野球中継の阪神対大洋戦。
恐る恐る「プロ野球好きなんですかー?」って生悦住さんに聞くと
大洋ホエールズ(現・ベイスターズ)ファンとの事。
自分も筋金入りの大洋ファン。
一気に八ードルが低くなり、その後は音楽よりは野球のことを
もっぱら店内で話すようになる(爆)。
何かそんなことをふと思い出してしまう。
あの時代、モダーン・ミュージックに出会えた事は、
間違い無く今の自分の財産になっている。
本当に色々な事に感謝している。
ありがとうございました。
モダーンミュージックがこの3月で実店舗営業を終了する事になった。
このお店で教わった様々な事は計りしれなく大きい。
それだけに寂しさも特別に深い。
サイケやジャーマン、NYパンク、日本のアンダーグラウンドなど。
レコードだけに限らず、多くの人との出会いや関わりなど、無形のモノを頂戴した。
モダーンに通う切っ掛けはハッキリと覚えている。
「ハイライズ/サイケデリック・スピード・フリーク」。
そうPSFレコードの1番。

確か、雑誌DOLLで紹介されていた、このLPが無性に聴きたくなった。
1980年代初頭、自分は故郷の新潟を離れ東京で暮らしていた。
新潟にいた頃は殆ど音楽には興味無かったのだが、
東京でパンク、ニューウェイブ、ハードコアの洗礼を受けその魅力に取り憑かれ、
その更に先の音楽やそのルーツの音楽にハマリ始めた。
今思うと異様なほど、自分にとっての未知な音楽に心奪われて時。
ともかくDOLLやミュージックマガジンなどの広告に載ってたレコ屋に
片っ端から電話をしまくった。
「売り切れ」ならまだマシで、「無い」「判りません」「知りません」な返事が殆どで、
無い無い言われて諦めかけてたそんな状況の中、かけた電話の1本がモダーン。
で、そこではアッサリと「有りますよー」。
「これから買いに行きます。取って置いて下さい」とオレ。
有って当然。レーベル元なんだから。
でも当時はそれすら知らなかった...ど素人のオレ orz...。
京王線明大前駅を降り、お店に向かう。
美容店のパーマ液臭い階段を上るビルの二階にモダーン・ミュージックは有った。
ハイライズもさることながら、その店内に有ったレコードの数々に心奪われた。
その頃、「九州のPIL」と称された「グーンジーズ」ってバンドが居て気になっていたのだが、
どこにもそのレコードが置いて無かったのだが、ここに当然の様に置かれていた事に更に驚愕。
↓

休みの国&岡林信康のURCカップリングLP、
リチャード・ヘルのORKシングルなども棚に当然の様にある。
足繁く通う様になるには、もうこれ以上理由は要らない。
当時、店員だった松谷健さん、石原洋さん、平野剛さん。
彼らからサイケやジャーマンなど多くのものを教えて貰った。
ハイライズ、アウシュヴィッツが出るライブに行ったら、
対バンのマーブル・シープに魅了された。
そのリーダーが松谷さんで、モダーンの店員だってことはその時に知った。
店で会ってたはずなのに認識してなかった事を恥ずる。
更に遡れば、御茶ノ水にあったエジソンでも知らない内に松谷さんに会っていたのだ。
当時彼はそこの店員で、俺はそこにTGのシングルを買いに行ってた。
それを仕入れてたのは松谷さんだったらしい。
マーブル・シープにはその後深く関わる事になるのだが、それは後日詳しく。
モダーンで一番鮮烈な記憶は2つある。
ひとつは、CD納品で店に来ていた灰野敬二さんにサインを貰った事。
そしてもうひとつは、当時店員のN氏の解雇現場に居合わせた事。
BGMも流れない店内で凍りつき固まる空間。
あの冷や汗しか流れない、居た堪れない時間は他に体験ない(苦笑)
実は、生悦住さんと親しく話しをさせて貰う様になったのは結構遅い。
やっぱり、当時は何か怖かったもんなー(笑)。
切っ掛けは、店内のTVに映ってたプロ野球中継の阪神対大洋戦。
恐る恐る「プロ野球好きなんですかー?」って生悦住さんに聞くと
大洋ホエールズ(現・ベイスターズ)ファンとの事。
自分も筋金入りの大洋ファン。
一気に八ードルが低くなり、その後は音楽よりは野球のことを
もっぱら店内で話すようになる(爆)。
何かそんなことをふと思い出してしまう。
あの時代、モダーン・ミュージックに出会えた事は、
間違い無く今の自分の財産になっている。
本当に色々な事に感謝している。
ありがとうございました。
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