林直人
7月25日は自分の誕生日で、色々な方からお祝いの言葉を頂いて恐縮するばかり。
しかし今日という日は、自分にとっては自身の誕生日なんて問題では無く、
もっと重要な日。
2003年7月25日、林直人、逝去。
大阪のロック・シーンの重鎮、アンバランス、アルケミーといった名レーベルを
興した人物、そして自分が大好きだったロック・バンド「アウシュヴィッツ」の
リーダーだった。
林さんの訃報は、松谷健氏からのメールで知った。
以前から林さんの容態は聞いていたので、訃報は唐突な事ではなかったが、
来ては欲しくなかったけど遂にこの日が来てしまったのか、との思いと同時に
脱力感に襲われた。
林さんの音楽は、大きな評価を得た訳では無かったが、出会った自分にとっては
計り知れない大きなものを与えてもらった。
彼の音楽を同時代に体験できた事は自身の財産とも言って良い。
しかし、林さんの事を語ろうとしても多分きちんと伝える事の出来ない
自分の素養の無さが恨めしい。
でも、あの全てを包みこむかの様な大きな器を持った林さんの音楽は、
未だに自分の中で輝きを放っている。
昨年リリースされた「AUSCHWITS COMPLETE BOX」は、
コンプリートと銘打つのには実は不足しているパーツが多すぎるのだが、
今はアウシュヴィッツの音源は入手困難で、だからそれを差し引いたとしても、
この作品がリリースされた意義は大きい。
とくに晩年の林さんの録音物は重要。
まともに声も出ない状況でも、病魔に侵された中でも、それでもしっかりと
前を見据えて進んでいる。
悲壮感は有るのだが凛々しい姿に、「やっぱり凄ぇや..」と言葉を無くした。
林直人さんの命日7/25は、自分の誕生日と同じ。
林直人さんの誕生日3/3は、大事な親友の誕生日と同じ。
どちらの日も、一生忘れる事は無い。
しかし今日という日は、自分にとっては自身の誕生日なんて問題では無く、
もっと重要な日。
2003年7月25日、林直人、逝去。
大阪のロック・シーンの重鎮、アンバランス、アルケミーといった名レーベルを
興した人物、そして自分が大好きだったロック・バンド「アウシュヴィッツ」の
リーダーだった。
林さんの訃報は、松谷健氏からのメールで知った。
以前から林さんの容態は聞いていたので、訃報は唐突な事ではなかったが、
来ては欲しくなかったけど遂にこの日が来てしまったのか、との思いと同時に
脱力感に襲われた。
林さんの音楽は、大きな評価を得た訳では無かったが、出会った自分にとっては
計り知れない大きなものを与えてもらった。
彼の音楽を同時代に体験できた事は自身の財産とも言って良い。
しかし、林さんの事を語ろうとしても多分きちんと伝える事の出来ない
自分の素養の無さが恨めしい。
でも、あの全てを包みこむかの様な大きな器を持った林さんの音楽は、
未だに自分の中で輝きを放っている。
昨年リリースされた「AUSCHWITS COMPLETE BOX」は、
コンプリートと銘打つのには実は不足しているパーツが多すぎるのだが、
今はアウシュヴィッツの音源は入手困難で、だからそれを差し引いたとしても、
この作品がリリースされた意義は大きい。
とくに晩年の林さんの録音物は重要。
まともに声も出ない状況でも、病魔に侵された中でも、それでもしっかりと
前を見据えて進んでいる。
悲壮感は有るのだが凛々しい姿に、「やっぱり凄ぇや..」と言葉を無くした。
林直人さんの命日7/25は、自分の誕生日と同じ。
林直人さんの誕生日3/3は、大事な親友の誕生日と同じ。
どちらの日も、一生忘れる事は無い。
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恒松正敏グループ/欲望のオブジェ
恒松正敏グループ/欲望のオブジェ
2007年にリリースされてたものを、今年ようやく入手。
リリースを知らなかった訳ではなく、単にタイミングが合わなかっただけ、
と一応言い訳しておく(苦笑)
恒松正敏、てか、やっぱ「ツネマツマサトシ」のカタカナ表記の方がしっくりくる。
最初に彼の音楽に出会ったのは、1981年にPASSからリリースされた12'盤。
(実はフリクションでの彼の演奏を知るのはもっと後になってから)
この12'での、無機質な近未来的マシーン・ビートに強く惹かれた。
しかし、その直後に出会った「EDPS」の、硬派な骨太のロック・サウンドには
もっと心惹かれ、直ぐにフェイヴァリットなミュージシャンになったのは言うまでも無い。
EDPSの出すレコードは全部買い、ライブにも通った。
しかし1984年5月の日比谷野音でのライブで実質的に解散。
そのライブ最後で、恒松正敏さんが空中高くギターを放り投げ、
コンクリートの地面に叩きつけられた時の残響音は未だに耳に残っている。
勿論、その瞬間は今も鮮明に映像として心に残っている。
その時は、これで解散とは知らされていなかった訳だったのだが、
物凄くカッコ良いと思ったのと同時に、何かが終わったのか、と思ったのは当たっていた。
新潟に戻ってからも、機会があれば新潟で開催された数少ないライブには
出来る限り足を運んだ。
町田康&GLORY、恒松正敏グループなどでのLIVE。
観客は決して多いとは言えない(むしろ少なすぎる、憤慨)が、
その演奏はやはり自分にとっては何時も心躍るものだった。
欲望のオブジェは、基本、EDSP時代の延長線上の作品と言えるかもしれないが
その頃のサウンドが大好物な自分にとっては、この作品も安心して触れられる
作品なのである。一応、「予定調和」とは違う、と言ってはおくが。
フリクション時代にはソリッドでタイトなギターを聞かせてくれたが、
ブルース色の強い音も、ホント素敵だと思う。
2007年にリリースされてたものを、今年ようやく入手。
リリースを知らなかった訳ではなく、単にタイミングが合わなかっただけ、
と一応言い訳しておく(苦笑)
恒松正敏、てか、やっぱ「ツネマツマサトシ」のカタカナ表記の方がしっくりくる。
最初に彼の音楽に出会ったのは、1981年にPASSからリリースされた12'盤。
(実はフリクションでの彼の演奏を知るのはもっと後になってから)
この12'での、無機質な近未来的マシーン・ビートに強く惹かれた。
しかし、その直後に出会った「EDPS」の、硬派な骨太のロック・サウンドには
もっと心惹かれ、直ぐにフェイヴァリットなミュージシャンになったのは言うまでも無い。
EDPSの出すレコードは全部買い、ライブにも通った。
しかし1984年5月の日比谷野音でのライブで実質的に解散。
そのライブ最後で、恒松正敏さんが空中高くギターを放り投げ、
コンクリートの地面に叩きつけられた時の残響音は未だに耳に残っている。
勿論、その瞬間は今も鮮明に映像として心に残っている。
その時は、これで解散とは知らされていなかった訳だったのだが、
物凄くカッコ良いと思ったのと同時に、何かが終わったのか、と思ったのは当たっていた。
新潟に戻ってからも、機会があれば新潟で開催された数少ないライブには
出来る限り足を運んだ。
町田康&GLORY、恒松正敏グループなどでのLIVE。
観客は決して多いとは言えない(むしろ少なすぎる、憤慨)が、
その演奏はやはり自分にとっては何時も心躍るものだった。
欲望のオブジェは、基本、EDSP時代の延長線上の作品と言えるかもしれないが
その頃のサウンドが大好物な自分にとっては、この作品も安心して触れられる
作品なのである。一応、「予定調和」とは違う、と言ってはおくが。
フリクション時代にはソリッドでタイトなギターを聞かせてくれたが、
ブルース色の強い音も、ホント素敵だと思う。